農業機械、車輌、一般産業機械などの部品製造および組み立て

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農業先進県おかやま2「郷土美術館めぐり」
温故知新

トラクターやコンバインなど、今日の農業機械のルーツをたどっていくと、鍬や鎌などの道具類、自然の力を利用した水車などの装置、牛や馬などの家畜、最終的には人の手足にたどり着きます。
こうした能力は、現代から見れば、あまりに非力で未熟なレベルかもしれませんが、そこには、先人たちの知恵と工夫の跡をうかがうことができます。
農業先進県と言われる岡山県。各地で営々と取り組んできた農業の足跡を探訪します。


第19回

太田ふるさと民俗資料館

〒702-8026 岡山市南区浦安本町206-11
TEL(086)265-5509

開館時間 毎月第2日曜日 10:00~15:00
入館料 無料 
ホームページ http://ota-furusato.jp/
(必ずホームページで開館日時を確認してください)

太田ふるさと民俗資料館
児島湾開墾に活躍した農業機械類を収集展示。 児島湾開墾に活躍した農業機械類を収集展示。

太田ふるさと資料館があるのは、岡山市南区、児島湾干拓地エリアの一角。児島湾干拓の歴史は古く、16世紀から始まりましたが、明治4年の廃藩置県以降は、士族授産のための事業として開墾事業が本格化しました。

全体の完成を見たのは、終戦後。ここに入植し、開墾にあたった人々は、まず住まいを整えることから始め、土壌の塩分を取り除く塩抜き溝工事から取り掛かりましたが、電気も水道も乏しい中での重労働でした。

こうした歴史の背景こそが、こちらの資料館を設立する大きな要因となりました。こちらの資料館を開設した初代館長の言葉です。

「【理念と目的】戦後の機械化で農耕をはじめ生活様式全般に大きな変革をもたらしました。そうした中で干拓の歴史を物語る数々の古い農具・民具・漁具等が次々に失われていくことは、まことに惜しいことであり、心寂しく感じておりました。私たち先人の血と汗のしみこんだこの貴い遺産こそ、地方の農耕暮らしのありさまを知るための大切な資料であります。この貴重な資料1,200点を保存して後世に伝えることが私たちの責任であります」(原文まま)。

この資料館前に立つと、あたり一帯がかつて海であり、それを人の知恵と技術と努力の積み重ねで成しえた偉業に、あらためて驚かされるのです。

広大な干拓地に挑んだ人と機械。 広大な干拓地に挑んだ人と機械。

たいへんな重労働ですから、頼りにしたいのは機械です。しかし、そう簡単にはいきません。児島湾干拓において本格的に機械の導入が始まったのは、昭和30年代に入ってから。一般農家においては、牛や馬の力を借り、あとは人力が頼り。そんな当時を知る道具、民具類が納められています。特徴的なのは、こちらの資料館には、やや大型の農業機械が目につきます。広い干拓地には、やはり馬力のる機械が望ましいからでしょう。

児島湾干拓という一大プロジェクトを背景に、多くの農業機械メーカーが誕生し、次々と各種の農業機械を投入。岡山はこの当時、機械化農業の実験場、モデルエリアでもあったわけです。

初期の農業機械動力の主役は灯油燃料のエンジン。これを搭載して耕転機にしたり、エンジンを作業現場に据え、水汲みポンプ、脱穀機などを動かしたのです。

壁面の写真が語りかける、人と農業の関係 壁面の写真が語りかける、人と農業の関係

資料館入り口近くには、この地域の開墾事業を紹介した案内板があります。明治、大正、昭和と、三つの時代にわたって、この近辺の開墾が本格化してきたことを紹介。

また、資料館を取り囲む白壁には、限られた時間内に突貫工事で行われた潮止堤防工事の様子の写真が。その横には開墾風景の写真。続いて、暮らしも落ち着き始めた頃、町内のご婦人方が協力してコスモスを植えた「コスモス街道」をバックに、にこやかに笑う集合写真も・・・。それぞれの写真のあいだには、人と農業の関係の、きっと語りつくせないほどの熱いエピソードが眠っていることでしょう。

干拓地開墾で使われた平底舟

干拓地開墾で使われた平底舟

館内に入って最初に目に飛び込んでくるのが、壁面に真横につるされた平底船。舟板はぶ厚く、あちこちに傷がつき、容易ではなかった開墾の歴史を感じさせます。
スズエC型耕転機

スズエC型耕転機

現代の耕運機と違うのは、その大きさ。車輪も大きく、トラクターに近い印象です。耕転機は開墾した土地を農地に転用するために使われました。
燃料は灯油

燃料は灯油

耕転機の心臓部は灯油発動機。重量のあるエンジンだけに、全体がどうしても大きくならざるを得なかったと、推察されます。

 

クボタ製発動機

クボタ製発動機

かつて日本には、多くの農業機械メーカーが存在していました。世界の農業機械メーカー、クボタも、このような発動機を全国に向けて供給。切磋琢磨の歴史は今日に続いています。
脱穀機

脱穀機

木製の脱穀マシン。よく見るとベルトをかける部分があり、動力はこれも灯油発動機。収穫の秋には、喜びの爆音を響かせて、脱穀機を回していたことでしょう
建物壁面にある干拓工事の様子

建物壁面にある干拓工事の様子

説明には「1935年(昭和10年)。2時間の間に500人の作業者による突貫潮止め工事」とあります。干潮時を狙っての人海戦術による大工事でした。
岡山市の古い消防車

岡山市の古い消防車

このようなものも収集されていました。このエリアで実際に配備されていた消防車。その手前の手動ポンプには「豊成村」の名が。
貴重な蓄音機コレクション

貴重な蓄音機コレクション

こちらの資料館は、「Oota蓄音機ミュージアム」の顔を持ち合わせており、明治・大正・昭和にかけての蓄音機・時計・ラジオを保存しています。音楽ホールのような空間です。
あのエジソン名前が冠された蓄音機

あのエジソン名前が冠された蓄音機

たくさんの蓄音機の中から、貴重な一台を試聴させていただきました。エジソン式のもので、想像していたよりも、大きく立派に鳴り響きます。筒状の記録媒体に音楽が記録され、これを再生するのですが、筒状の欠点はかさばること。反対に支持されたのが、平らな記憶媒体を使うタイプ。そう、レコードです。エジソンといえども、敗退の歴史あり。ここにも切磋琢磨の歴史があったわけですね。
当社で製造している
農業機械部品の一例
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