気候温暖で、年間平均値(岡山市)は気温16.2度、降水量1,105o、日照時間2,030時間と、農作物の栽培に適した地。また、台風や地震などの自然災害が少ない県としても知られています。
恵まれた気候、立地の良さを活かして、岡山県は伝統的に「農業県」の顔を併せ持っています。
当社が作る機械部品の多くは、じつは大型小型の農業機械用。
農業と縁が深いことから、農業の面から見た、岡山の魅力や特徴をご紹介していきます。
日本におけるお米づくり・稲作の歴史は非常に古く、縄文時代から始まりました。これだけでもずいぶん驚きですが、なんと、我が岡山県において、約2500年前の「日本でもっと古い田んぼ」遺跡が発見されています。
また、岡山市北区津島では、約6000年前(縄文時代前期)の地層から、稲作を裏付ける化石が発見されているそうですから、なんともまあ、岡山は米作りと切っても切れない土地柄だったわけですね。
その稲作、縄文時代から弥生時代にかけて、日本中に広がっていきます。
どうして日本中に稲作が広がったのでしょうか。
その一番の理由は気候。中国から九州へと伝わったとされる稲作は、雨の多い梅雨時、雨の少ない夏、この条件がお米作りに適していたのです。
そして、味もよく、保存もきく。ここ、大切ですね。
主食となった米は、日本人にとって大切な、特別な存在として扱われるようになっていったのです。
参考)玉川大学のページ
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/rice/china05.1.23.html
参考)岡山県古代吉備文化財センターのページ
http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/sagu5.html
日本人にとってお米は単なる食べ物ではありません。
食べ物という範疇を超えた存在であり、お米との関わりは、日々の生活様式に深く影響を与えるものとなります。そのことは、全国各地に根付いた、米の収穫を祈願する伝統行事などからもうかがうことができます。
無事収穫でき、お米が食べられることに感謝をする行事やお祭り。こうしたことが、いまもなお毎年欠かさず行われている事実は、米がもたらした生活文化が、日本人の精神のよりどころになっているんだな、とも思います。
お米にまつわる儀式や行事のいくつかを取り上げてみます。
●新嘗祭(にいなめさい)
秋に収穫された穀物を備えて神様を祭る儀礼で、毎年11月23日(勤労感謝の日)に天皇が行う、最も大切な祭儀です。
●御田植(おたうえ)祭
田植えの季節になると、稲の生長と豊作を祈って御田植や花田植と呼ばれる伝統行事が各地で行われます。岡山市北区の吉備津彦神社でも、毎年、盛大に執り行われ、地元の女子中学生が舞を奉納しています。
●夏祭り・秋祭り
全国各地で行われるお祭りの多くは、田の神への豊作祈願、収穫感謝のために行われてきたものです。
●相撲
「四股(しこ)」には、大地を力強く踏みしめることで土地から災いを追い払い、豊作を祈願するという意味合いがあります。
このように、米作りは日本人独自の自然を敬う精神、感謝の気持ちなど、精神構造の決定的な要因となったわけですね。
岡山県久米郡美咲町大垪和西(おおはがにし)にある棚田。四季折々に美しい表情を見せてくれるこの棚田は、「日本の棚田百選」のひとつに認定されています。
棚田は先人が山や谷を切り開き、石垣を積み上げ傾斜地に作られた田んぼ。長い年月と、たくさんの労力が注がれています。
今日の合理化された農業と違い、なにかと手間のかかる、区画整理されていないままの田んぼですが、こんな風景こそ、我々日本人の精神構造を育んできた「原風景」として、後世にしっかりと守り伝えたいものです。
子供たちに田植えの経験をしてもらう取り組みが、いまも各地で行われています。
大変いいことだと思います。
裸足で田んぼに入った時の、足裏に感じる、生暖かく、くすぐったいくらいのぬるっとした感触。
たった一度だけの経験かもしれませんが、日ごろ食べているお米はこうして作られるのかと、両手両足の感触と共にある記憶は、大人になっても、決して忘れることはないでしょう。
私たち淵本重工業は、農家の方々の作業負担を軽くし、生産性を上げる各種農業機械部品を製作しています。
農業機械の出発点もまた、米作りにあり、食と共にある農業機械の原点をしっかり捉えて、これからも取り組んでいきたいと思うのです。
日本の歴史は、太古の昔から、常に米作りを基盤としてきました。
頑張りましょう、日本の農業。
(写真・岡山県観光連盟、吉備津彦神社のホームページから転載)