岡山は、自他共に認める「晴れの国」。気候温暖で、年間平均値(岡山市)は気温16.2度、降水量1,105o、日照時間2,030時間と、農作物の栽培に適した地。また、台風や地震などの自然災害が少ない県としても知られています。
恵まれた気候、立地の良さを活かして、岡山県は伝統的に「農業県」の顔を併せ持っています。
当社が作る機械部品の多くは、じつは大型小型の農業機械用。
農業と縁が深いことから、農業の面から見た、岡山の魅力や特徴をご紹介していきます。
岡山県には倉敷児島・井原地区の繊維産業、農業機械、東備地区の耐火物など、代表的な地場産業があります。その中で、農業機械は、瀬戸内の干拓事業が生み出してきた歴史があります。
瀬戸内の干拓は江戸時代から始まりましたが、明治に入ると大型の輸入農業機械が導入され、国や県の行政側も、食糧増産をめざして農機具の積極的改良、機械化を奨励。結果、大正期に入ると、岡山市を中心に多数の農機具製造事業所が立地するようになります。そこから国産初の石油発動機(大正8年)をはじめ、耕うん機、掲水機、籾すり機など、多くの農業機械が生み出されるようになったのです。
特に岡山県の農業機械生産で特徴的なのが、石油発動機。石油(灯油)を燃料にするこのエンジンは、牛馬に変わる動力源として重宝され、農業や漁業で大活躍。1930年代から1950年代の最盛期には、日本国内で、なんと100近いメーカーが存在。うち半数を、岡山県のメーカーが占めるほどの「発動機王国」ぶりでした。
しかし、岡山空襲で工場のほとんどは消失。また、石油発動機は性能のよい小型ディーゼル発動機やガソリン機関に主役の座を譲り、その役割を終えます。
乱立ともいえるほど多くあった石油発動機メーカーの大半は撤退や廃業を余儀なくされましたが、岡山県内の業者では、特徴ある農機具を製作するメーカーとして復興したところが多々あり、現在に至っているのです。
世界的な農業機械メーカー・クボタも、一時はこの石油発動機を製作。
日本の農業、漁業の復興を後押ししました。かつては多種多彩な石油発動機が存在していましたが、現在も残っているメーカーはごくわずか。石油発動機は、日本の農業機械の歴史を語るうえで忘れてはならない存在。貴重な文化遺産といえます。
全国の石油発動機愛好家たちによって、これらの機械は大切にコレクション&メンテナンスされ、農業祭などで懐かしいエンジン音を聞くことができます。