岡山県倉敷市といえば大原美術館の名前が挙げられるほど、このエリアの一大観光スポットです。この大原美術館、じつは日本で最初の西洋美術中心の美術館。その誕生の裏には、二人の人物の出会いと溢れる情熱がありました。
一人は美術館の創設者であり、倉敷紡績の第二代社長大原孫三郎(おおはらまごさぶろう)。もう一人は彼によって見いだされた才能ある画学生であり、渡欧して絵画のコレクションにあたった児島虎次郎(こじまとらじろう)。
設立当初、来訪者は少なく、周囲からは「金持ちの道楽だ」「労働者の敵だ」と非難されたことも。それをはねのけて、やがて世界的な美術館となる礎を築いたのは、当時、日本においては西欧の名画に接する機会は皆無であり、「日本にいる大勢の画家仲間に一枚でも本物の絵に触れさせてあげたい」との虎次郎の熱意と、自らは資金提供に徹し、コレクションの役目を彼に全面委譲した孫三郎の心意気。
「わしの眼は、十年先が見える」と言った言葉の裏にある、<名声は一日にして成らず><信は力なり>のメッセージ・・・。同じ事業者として、力強く背中を押してくれているような気がする孫三郎の功績です。 |