過去のおいんでんせえ
バックナンバー:第十二幕『岡山の先駆者たち2』
法然上人

浄土宗を開いた、念仏の元祖


誕生寺 誕生寺御影堂
デジタル技術万能の時代になり、何もかもが便利、手軽になった半面、人と人との関わりが希薄になってしまったことへの漠然とした不安を感じている人が多いのでしょう。本屋さんをのぞくと、伝教大師最澄、弘法大師空海、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮聖人、一遍上人と、名僧関連の本が多く並びます(そんな気がします)。
中国大陸から伝来した「仏教」のみ教え。もともと外来の宗教でしたが、やがて日本の風土にしっかり根付き、日本人の心の深いところに宿る宗教律となっています。
いろんな宗派が存在しますが、広く民衆に教えを広めた名僧の一人、法然上人は岡山県美作の国生まれ。念仏を唱えればすべての人は救われるという専修念仏の教えを、弾圧に屈せずに生涯広め続けた鎌倉仏教の代表的人物です。生誕ゆかりの地に建つのが、現在の誕生寺(岡山県久米郡久米南町誕生寺)です。

比叡山に登り、比叡山をドロップアウト


「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」。法然上人のこの歌は、「月の光が届かない人里などないのですが、月を眺める人の心の中にこそ月は、はっきりと存在してくるのです」。つまり、阿弥陀様のすべての人を救うというお誓いは、誰にも平等にふり注いでいます。しかし眺めた人にしか月の光の存在が分からないように、南無阿弥陀仏と念仏を称えた人だけが極楽浄土に往生できるのです・・・との意味です。
法然上人は15歳で比叡山に登り、そこで天台の学問を納めます。しかし、仏教が貴族のための宗教と化している現実に失望するなか、膨大なお経の中から専修念仏の道を開きます。浄土宗の開宗です。43歳で比叡山を下りてからは教えを広め、救いを求める一般民衆に光明を与えましたが、旧仏教からの弾圧もあり、流罪の憂き目に。80歳で生涯を閉じます。法然上人の教えを受けた弟子も数多く、親鸞は法然上人を「本師源空」や「源空聖人」と称し、師事できたことを生涯の喜びとしました。

プロフィール
法然・ほうねん(1133-1212年)
比叡山で天台宗の教学を学び、その後、阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説いた浄土宗の開祖。