過去のおいんでんせえ
バックナンバー:第十二幕『岡山の先駆者たち2』
重森三玲

枯山水


京都・光明院 京都・光明院
「枯山水」と聞いて、誰もが真っ先に思い浮かべるのが、京都・竜安寺の石庭。わびさびを凝縮した日本美をたたえる名庭です。枯山水庭園の核心に触れるとともに、そこから新たな境地を切り開いた庭園作家が、重森三玲です。
10代から生け花や茶道に親しんだ彼が、画家への道を挫折し、やがて独学で日本庭園を学び、本格的な作庭に取り組んだのは40代に入ってから。全国約500もの庭園を実測調査し、科学的な見地から日本庭園史を一気に体系化させたのでした。
その業績は、1939年『日本庭園史図鑑』26巻、1976年『日本庭園史大系』全33巻として集約されました。
重森三玲が作る庭の特徴は、力強い石組みと、直線曲線を織り交ぜた苔の地割りで構成される、現代感覚あふれる枯山水。代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園、松尾大社庭園などがあり、生涯に200余りの庭をデザインしています。



西日本に多く残る重森三玲の作品


ところで、重森三玲は前衛生け花の研究を通じて、アメリカの彫刻家イサム・ノグチとの交友を深めます。そのきっかけは、イサム・ノグチが重森三玲の圧倒的なデザイン感覚に度肝を抜かれ、以降、強い影響を受けたという話は有名です。
イサム・ノグチばかりでなく、庭園を通しての交流は多岐にわたり、陶芸や絵画など多くの芸術家たちに多大な影響を与えました。彼こそが、グラフィックやインテリア、ファッションなどを含めた、昭和を代表するデザイナーの一人と言われるゆえんです。
彼の作品は、寺院や神社の庭園のほかに個人の邸宅・茶室が多いため、諸般の事情で消滅してしまったものもあります。現代に残る作品は、下記のサイトなどで紹介されていますので、その素晴らしいデザインセンスをぜひご堪能ください。
http://kyoto-albumwalking.cocolog-nifty.com/blog/cat9750493/index.html

プロフィール
重森三玲(しげもりみれい)1896年-1975年。
昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。出身地である岡山県吉備中央町にある重森三玲記念館には、彼の多数の著作や、鹿苑寺金閣をはじめとする著名庭園実測図、書画などが多数展示されています。なお、「三玲」の名は、フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーにちなみ本人が改名したもの。