水枕ガバリと寒い海がある
西東三鬼集
新興俳句運動の旗手、鬼才とも言われる西東三鬼が、35歳の時に発表した、彼の代表作ともいえる有名な句です。これまでの俳句の常識を破る斬新な言葉の響きが、この句にはあります。
もともと俳句は五・七・五の定型で、これは文語独自のリズム。ゆえに、俳句は文語表現が適しています。俳句界では明治末期の新傾向派以来、定型を打破しようと多くの試みがなされてきましたが、成功した例は稀。そんななかにあって、この一句は「俳句には現代語的口語表現は不向き」という常識を見事に覆したのでした。
西東三鬼が俳句を始めたのは30代。医師業の傍ら、患者のすすめによって俳句を始めたのがきっかけでした。やがて、師系と季語を持たない新興俳句の旗手として、次第に名を高め、戦後は近代文学としての俳句の可能性を求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに俳句復興に尽力したのでした。
ところで、「三鬼」の号は本人曰く「サンキュー」から採ったとか。トレードマークは、口髭とベレー帽。ダンス、乗馬、ゴルフ、ギター、油絵などを楽しむ、ダンディという言葉がよく似合う人柄だったそうです。
西東三鬼賞。新たな才能の発掘
三鬼の句碑
西東三鬼の代表的な句をもう少し。
算術の少年しのび泣けり夏
昇降機しづかに雷の夜を昇る
中年や遠くみのれる夜の桃
おそるべき君らの乳房夏来る
大寒や転びて諸手つく悲しさ
これぞ従来の俳句にはない、モダニズムの影響を強く受けた、現代語的口語表現による句です。誰にも作れそうでいて、なかなか難しいのが新興俳句。何ごとも、旧来からの習慣、殻を破るのは難しいということですね。 ちなみに「大寒や転びて諸手つく悲しさ」は、年を取って足がよろけ、寒い大寒の日に手をついてしまった痛く冷たい感覚を自嘲気味に表現したものです。
西東三鬼は昭和37年に61歳で没しますが、没後30周年を記念して、平成4年に三鬼顕彰全国俳句大会が津山文化センターで開かれました。それをきっかけに、三鬼の俳句精神を受け継ぐ新たな才能を発掘し、三鬼を生んだ街、岡山県津山市を再び俳句文芸の新たな息吹の源としようと「西東三鬼賞」が創設されました。
あなたも、心を打つ一句を投句しませんか。(問い合わせ:津山市教育委員会文化課)
西東三鬼(さいとう さんき)。1900年 - 1962年。
本名は斎藤敬直(けいちょく)。昭和時代の俳人。明治33年、岡山県津山市生。歯科医。昭和15年新興俳句総合誌「天香」の創刊に参加。京大俳句弾圧事件で検挙される。戦後、現代俳句協会の創設に加わる。山口誓子(せいし)主宰の「天狼(てんろう)」初代編集長をへて、総合誌「俳句」編集長となる。昭和37年没。61歳。