過去のおいんでんせえ
バックナンバー:第十一幕『岡山の先駆者たち』
淵本重工業 おいでんせえシリーズ第11幕 岡山の先駆者達 金重 陶陽

備前焼中興の祖


金重陶陽は「備前焼中興の祖」と称されています。この「中興」とは、どういう意味でしょう。
「中興」とは<一度衰えていたり途絶えた物を復興させる>という意味。つまり、金重陶陽は、一時は途絶えそうになった備前焼を復興させた立役者なのです。
いまでこそ、焼き物に興味ある方なら誰もが知り、窯や作家の数500を超える規模の備前焼ですが、じつは明治から昭和初期にかけて、無残に衰退していた時期がありました。江戸時代中期以降、伊万里焼や九谷焼などの人気におされて、窯元の数はわずか数軒にまで激減するというありさま。こうなると、産地はなりふり構っておられず、瓦や下水・用水路に使う土管まで作っていたのです。
そうした、瀕死の状態にあった備前焼を復興させたのが、金重陶陽その人でした。 父のもとで、わずか5歳から土いじりを始め、11歳になると得意な細工物で腕を振るい、出品していたほどの陶陽。20歳の時に師匠である父を亡くすと、陶陽はかつて興隆を極めたものの完全に技術が途絶えていた桃山時代の備前焼復活に取り組みます。そして、試行錯誤の末、34歳の頃に古備前の土味を出すことに成功。 備前焼の持ち味である、さまざまな窯変を、陶土・窯の構造・窯詰め・焼成法の創意工夫で自在に作り出す技を完成させ、備前焼を一挙に復活させる道筋を切り開いたのでした。

備前焼初の人間国宝


(財)岡山県備前陶芸美術館陶陽が素晴らしいのは、そうした備前焼復興の功績だけではありません。備前焼の表現の新しい可能性を切り開くとともに、北大路魯山人やイサム・ノグチ、また、川喜田半泥子、加藤唐九郎ら著名な芸術家たちとかかわりを持ち、親交。民芸の富本憲吉・河井寛次郎・浜田庄司・バーナード、リーチらの来訪も受けています。
そして、芸術としての備前焼の発展に貢献しながら、多くの若手作家、陶工たちの育成に力を注ぎました。 こうした功績が認められ、1955年、60歳の時に備前焼初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。彼の元からは多くの逸材が巣立ち、その系譜は、あとに、藤原啓、山本陶秀、藤原雄、伊勢崎淳と、じつに4名もの人間国宝を誕生させたのでした。
今日に至る備前焼の歴史と芸術性を語るうえで、決して外すことのできない人物こそ、金重陶陽なのです。 自ら優れた陶工であるにとどまらず、道を開き、後進を育てた陶陽。彼の人柄は、温かく力強い独特の作風に見ることができます。備前焼の名品を見る機会には、ぜひ、陶陽の造形をお見逃しなく。
プロフィール
金重 陶陽(かねしげとうよう)1896‐1967
岡山県伊部(いんべ)に生まれる。本名勇。
父の金重楳陽に備前焼の陶技を学ぶ。若いころから桃山時代の茶陶に魅せられて,その研究に没頭、桃山風備前の再現に成功した。
1956年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。