大山と羽生、もし戦わば・・・
意外ですが、いま将棋は空前の人気だそうです。将棋大会に出場する子どもの数は、ここ10年で10倍にもなったそうです。その要因は、ネット将棋の普及。以前だと、将棋を覚えて勝つ楽しさを知っても、対戦相手がいなくなるとつまらないからやめる、というパターンが多かったのですが、ネット将棋だと、いつでも対戦相手がいるわけですから、どんどん面白みにはまっていく子が多い、という図式が定着しているのだそうです。
加えて、羽生善治や渡辺明、佐藤康光、谷川浩司といった人気棋士、女流気棋士の存在も見逃せません。そのプロ棋士界で燦然と輝く戦績を残したのが、昭和の大名人、大山康晴です。主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)。十五世名人、および、永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将という、5つの永世称号を保持。
もし、全盛期の大山と羽生との対局が実現すれば、というのは興味の尽きないところ。実力ではやはり羽生が上。いやいや、棋譜と実戦はまるで違う。鬼の気迫を放つ大山名人の方が強いと、将棋通の中でも評価は真っ二つ。いずれにしろ、長きにわたって将棋界のトップに君臨し続けた真の実力者でした。
「一時期強いというのは誰にでもある。頂点を維持してこそ強者」
丸い眼鏡をかけた、丸っこい身体。写真で見る限り、どこにでもいそうな、温厚なおじさん然としていますが、そんな印象とは裏腹に、ここ一番での勝負にかけるすさまじい気迫は、対戦した誰もが認めるところでした。
棋風は、小細工やひっかけを軽蔑し、正面から実力で押す正攻法の棋風を貫きました。いわゆる横綱相撲であり、相手に攻めさせてから指し切りにさせてしまう「受け潰し」を得意としました。優勢となっても勝ちを急がず、常に安全に勝つことを目指した棋風。最善手ではない、敢えて相手の悪手や疑問手を誘うよう手を指す逆転術は、まさに名人芸ともいうべき指しまわしであると羽生善治も解説しています。ちなみに、大山の全盛期は1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)にかけて。全タイトルを19連続で獲得し、その間、他の棋士達にタイトルを一つも渡しませんでした。
大山らしいスタイルといえば、盤外戦においても相手を心理的に追い込む勝負へのこだわり。「中盤以降は相手が勝手に崩れるような将棋が多い」といわれるほど、勝負にかけるオーラが大山を大山たらしているとも評されています。
最後に、大山の残した言葉をいくつかご紹介します。
・平凡は妙手に勝る。
・ 終盤は二度ある。
・一時期強いというのは誰にでもある。頂点を維持してこそ強者
・長所は即欠点につながる
・ 50歳の新人(いつまでも過去の自分を懐かしんではいけない)
大山康晴 おおやまやすはる(1923 - 1992年)
将棋棋士。木見金治郎門下。
公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)等。十五世名人、および、永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将という、5つの永世称号を保持。
日本将棋連盟会長。1990年に将棋界初の文化功労者顕彰。
岡山県倉敷市出身。名誉市民。