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バックナンバー:第十一幕『岡山の先駆者たち』
淵本重工業 おいでんせえシリーズ第11幕 岡山の先駆者達 石井十次

3000人を越す孤児救済と教育に生涯をささげた人


「福祉」という言葉さえ定着していなかった明治20年に、22歳の若さで孤児救済の事業に着手した人物。それが石井十次です。岡山孤児院を創設し、のちに大阪の愛染園託児所、郷里の宮崎県に茶臼原孤児院などを経営し、日本における社会福祉事業の先駆者として生涯をささげました。
また、孤児の救済だけでなく、労働を通じて教育をすることが大切であるとの信念のもと、教育にも力を注ぎます。明治から大正にかけて、実に3000人を越す孤児のために生涯を捧げたのでした。

大原孫三郎の人生を変えた人物


倉敷紡績をはじめ中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)などの社長を務め、大原美術館に代表される文化事業にも熱心に取り組んだ実業家、大原孫三郎。彼の人生の一大転機となったのが石井十次との出会いでした。裕福で放蕩息子であった大原孫三郎は、やがて大借金をかかえ、東京専門学校を中退のうえ倉敷に連れ戻されます。そんな折、岡山高等学校医学部を中退し、孤児救済に努める石井の講演を聞いて孫三郎は激しい感動に包まれ、以後、石井の事業を全面的に支えることになります。石井の影響で、大原孫三郎は苦学生のために大原奨学会を開設。その奨学生となったのが、大原美術館コレクションの立役者、児島虎次郎でした。彼の代表作である『情けの庭』は、岡山孤児院に泊り込んで描いた絵。そんな縁もあり、児島虎次郎は石井の長女と結婚。石井十次、大原孫三郎、児島虎次郎。この三人は、まことに数奇で運命的な糸で結ばれていたのでした。

プロフィール
石井十次・いしいじゅうじ(1865年-1914年)
日本で最初に孤児院を創設した人物。彼は岡山で医師を目指していたがそれを中断。岡山孤児院を創設して、生涯を孤児救済に捧げた。岡山孤児院はすでに存在しないが、石井記念友愛社(宮崎県)と石井記念愛染園(大阪府)が後を引き継ぎ、福祉活動をおこなっている。