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淵本重工業 おいでんせえシリーズ第11幕 岡山の先駆者達 緒方洪庵

「適塾」とは


適塾緒方洪庵。教科書にも出てくる、天然痘治療に貢献した我が国近代医学の祖ですが、その功績とは別に、その名を知らしめているのが、自身が開いた私塾を通した人材育成、教育者としての一面です。
彼が大阪船場に開いた蘭学の私塾、「適々斎塾」略して「適塾」からは、福澤諭吉をはじめ、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出しました。当時、蘭学の私塾はほかにもありましたが、名声はすでに高く、入門者が日本全土から集まりました。その数は千人にも達したそうです。特に佐賀・筑前・越前・土佐・宇和島・足守の各藩などは、藩主の命によって入門者を送ってくるほどに、適塾の評価は高いものでした。
適塾での教育ですが、緒方洪庵の人柄は至って温厚。しかしながら、学習態度は厳格を極め、塾生にもそれを求めました。厳しい「学」で結ばれた師弟関係から、これらの偉人たちが巣立っていったのでした。

日本の近代医学の祖


緒方洪庵は文化7年(1810年)、備中国足守藩(現・岡山県岡山市北区足守)下級藩士の三男として生まれました。子供の頃から虚弱体質であったため、武士ではなく医師を目指します。16歳で大阪に出たのを皮切りに、江戸、長崎で当時の最先端の学問であった蘭学を修得していきます。29歳の若さで塾を開講。すでに彼の語学力は抜群で、原語をわかりやすく塾生に訳して教えるなど、福沢諭吉をして、師の前では自分はまるで無学だ、と言わしめたほどでした。歴史に残る、優れた医学書も残しています。
いい師があって、いい弟子が育つ。また、意欲ある弟子が集まる。師もまた、切磋琢磨して励む。このサイクルは学問の世界はもちろん、産業界においても同じです。人間関係。なにかと難しいことの代名詞のように使われる言葉ですが、人が人をつくることを、あらためて教えてくれる緒方洪庵の業績です。

プロフィール
緒方洪庵
文化7(1810)年、備中足守藩の下士の三男として足守植之町で生まれる。
文政8(1825)年、父に伴って上阪。体が弱く、武士に適さないと感じた洪庵は、万 人を救済する道としての医を志す。 江戸で坪井信道、宇田川玄真に師事、長崎留学を経た後、天保9(1838)年春、大阪 で医業を開業すると共に、蘭学塾「適塾」を開く。
岡山県岡山市足守の県指定史跡洪庵生誕地跡には、「洪庵緒方先生碑」「産湯の井」、 「緒方洪庵先生之像」がある。