鳥人幸吉
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現在の京橋
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現在の岡山県玉野市八浜に生まれた浮田幸吉は、表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り、柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作。きっと、渋団扇を参考にしたのでしょう。試作を繰り返して、ついに1785年(天明5年)夏、後楽園のある旭川に架かる京橋の欄干からえいやっと飛び出しました。
結果は、風に乗って数メートル飛んだとも、すぐ落下したとも・・・。
この試みは町中の大騒ぎとなり、その結果、岡山藩によって囚われの身に。藩主池田治政により岡山所払いとされました。
その後、幸吉は駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)に移りますが、晩年の人生模様は諸説あり、不明。
天才か、奇才か、あるいは、現代的に言えば体を張ったパフォーマーか、一発受け狙いの芸人か・・・。いずれにしろ、慣例にとらわれず、誰もが思い浮かばなかったあなた様の発想力と行動力は、ただただ見上げるばかりでございます。
幸吉が取り持つ縁
その後の幸吉の足取りですが、駿府に移ったのち、「備前屋幸吉」の名で郷里児島の木綿を扱う店を開きます。軌道に乗ったところで兄の子に店を継がせ、自身はなんと、歯科技師に転身。器用さで評判を得ます。
晩年、再び空を飛んで騒乱罪となり、死罪になったとも、妻子を得て幸せに長寿を全うしたとも伝えられます。
ちなみに、幸吉が没して150年あまりたった1997年、旧岡山藩池田家当主・池田隆政氏より、岡山所払いが許されるという粋な計らいがありました。
幸吉が取り持つ縁で、玉野市と静岡県磐田市の小学生チームが対戦する「鳥人幸吉杯少年サッカー大会」が開かれたり、玉野市にある「おもちゃ王国」で、紙飛行機の製作と飛行コンテストを行う「鳥人幸吉杯飛行機フェスティバル」が開催されるなど、岡山県人にとっては、広く知られる先駆者の一人です。
浮田幸吉(うきた こうきち)1757年- 1847?年)。
日本で初めて空を飛んだとされる人物。鳥人幸吉、表具師幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎(びんこうさい)とも呼ばれる。
7歳で父を亡くし、岡山の紙屋に奉公して表具を習得。
空を飛ぶ鳥に興味を持ち、飛行メカニズムを考察。「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出す。それを人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはず・・・」と結論づけた。