過去のおいんでんせえ
バックナンバー:第十一幕『岡山の先駆者たち』
淵本重工業 おいでんせえシリーズ第11幕 岡山の先駆者達 メザシの土光さんこと土光敏夫

行革の鬼


土光敏夫は、石川島播磨重工業(IHI)、東芝という日本を代表する会社の社長を歴任。77歳で経団連の会長に就任し、日本経済を牽引します。合理化による立て直しで評価されることの多い経営者・土光氏ですが、それだけではありません。技術者でもあった彼は将来のための研究開発には惜しみなく資金を投入。このことが今日の東芝やIHIを支える大きな柱となっているのです。
彼の名前を一躍有名にしたのが臨調(臨時行政調査会)の会長に就任し、国の行政改革に取り組んだこと。このとき84歳。抜群の行動力から「ミスター合理化」「荒法師」「行革の鬼」とも呼ばれました。

蓄財・散財とは無縁の人


質素倹約を旨とし、東芝社長時代でさえ自宅にカラーテレビはなく、電器メーカーの社長宅にカラーテレビがないのはおかしいと言って、社員が寄付を募り、カラーテレビを社長に寄贈したというエピソードがあります。そのほか、通勤はバスと電車。背広は着古しのヨレヨレ。革靴は底を何度も張り替て使用。冬でも暖房を使わない。散髪は息子にしてもらう。農作業用のズボンのベルトはボロネクタイで代用・・・。
特にインパクトがあり、以降「めざしの土光さん」と呼ばれるようになったのは、テレビで紹介された奥さんとの夕食シーン。食卓にはメザシと菜っ葉、味噌汁、玄米だけ。あとで、あれはテレビのやらせとか、めざしは高級品だったとかの指摘もありましたが、当時、年収は数千万円あったにもかかわらず、毎月の生活費10万円を差し引いた残り全額は母が創設した女学校に寄付。蓄財・散財とは無縁の、本物の質素ぶりでした。
経済界のトップに似つかわしくない、そうした生活ぶりであったからこそ、危機に際して、強いリーダーシップを発揮することができたに違いありません。

プロフィール
土光 敏夫(どこう としお、1896年(明治29年)- 1988年(昭和63年))。
エンジニアであり実業家。第4代経団連会長。岡山県名誉県民。
[土光敏夫の名言]
考えるより当たれ。体当たりによって生きたアイデアが生まれる。
会社で働くなら知恵を出せ。知恵のない者は汗を出せ。汗も出