今回は、観劇である。とはいっても、劇団四季とかではない。宝塚でもない。アメリカ生まれの黒ネズミを主人公にしたテーマパークのアトラクションでもない。
デジタル万能の時代に、いまも根強いファンに支えられているアナログ全開の大衆演劇である。 調べてみると、全国で公演を行っている劇団の数、ざっと130あまり。すごい数ではないですか。 テレビで、梅沢富美男とか早乙女太一の有名どころはときどき目にしますが、生で、ここ岡山で、ベタの大衆演劇を見ることのできるところはあるのかと、調べてみたら、これがけっこうあるんですね。ヘルスセンターやホテル、専用劇場等々。 日本の伝統的癒やしと活力の小宇宙空間、大衆演劇の会場へ、さっそくゴーだ。
向かったのは、岡山市中心部の田町にある後楽座。昔、映画館であった建物を改装した劇場で、花道もしつらえた本格仕様。芝居好きの人たちの支援を得て改装したというのだからすごい。
公演は昼夜の2回。行ったのは土曜日の昼。開演時間前から、次々と観客がやってくる。 初めての経験なのでウロウロしつつ、入場料1800円也を払って中へ。 派手なポスター、タペストリーが壁に並ぶ。ファンからの贈り物らしい。
舞台を覗いてみると、元映画館だけあって舞台と客席が近い。期待が高まる。 後方に座ってあたりを見渡すと、やはりというか、来場者の年齢層は高い。高齢者が約8割。そのうち女性が8−9割。つまり、かなり片寄ったファン層で支持されている世界であることが一目でわかる。
ここで、大衆演劇の豆知識。劇団の構成は、家族や親戚が中心で、団員は5名程度から多いところで30名程度。最近は若い座長が多いのだそうだ。 若手が前面に出て活躍するのは素晴らしいこと。当社もそうだが、若手が伸びている、育っていることを実感できるときほどうれしいことはない。劇団それぞれに勢いがある。いいことだ。
しばし、観客を観察。女性たちは開演前の腹ごしらえとおしゃべりに忙しい。天満屋で買ってきたという豪華お弁当を広げている人がいる。袋菓子を開いている音があちこちでする。入れ替わり立ち替わりにトイレに向かう。 なかなかいい雰囲気だ。ロックコンサートではこうはいくまい。
さて舞台。三部で構成されており、オープニングは歌と踊り。そのあとが、メインの90分ほどの時代劇お芝居。そしてフィナーレは豪華歌謡ショー。衣装早変わりなど、劇団自慢の出し物が楽しめる。このお芝居だが、毎日、演目が変わるというのだから驚く。しかも、昼・夜も違う演目なのだ。
一通り体験して、特筆すべきは、はやりお芝居だった。ズバリ、セットこそ貧弱だが、本格なのである。ストーリーにグイグイ引き込まれるのである。笑いと涙。人情。日本人の感情DNAをこれでもかと揺さぶる、心地のよいコテコテ感が大衆演劇の魅力なのだろう。 セリフの言い回しや、間合い。所作。どれもがプロだなあと感じつつ、不覚にも、芝居のクライマックスでは、前に座ったおばちゃん同様、涙してしまいました。ふはは。
お芝居を見終わったら、次は踊りと歌謡ショー。踊り手たちによる妖艶な舞を楽しむことができます。踊りの中盤には、頃合いを見計らったファンが舞台に近づき、祝儀袋や一万円札をそのまま衣装にピンで留める人が続く。ばあちゃん、それ、年金の一部じゃろ、とつっこみたくなるが、その現金は劇団員の生活費となる。若い劇団員家族にはなにかとお金が必要だ。老から若へ、うまくお金が循環している現場を目撃できたのだった。
座長の口上では、自分たちはお客様に元気をお届けするのが仕事、と述べていた。当日は熊本での地震発生から数日たった頃。自分たちしかできないことを精一杯やることが皆さんのお役に立つこと、ひいては、元気をお届けすることになるはずと。その言葉に、プロとしての自覚を感じたのでした。 きっと、地道な努力の積み重ねがあるのでしょう。伝承を大切に守っているのでしょう。限られた条件の中で最善を尽くそうとする心意気を、舞台を見終わって感じたのでした。
私たちメーカーは、作り出す製品の品質や性能がすべて。一方、無形のサービスを本業とする彼らは、一期一会の感動を与えられるかどうかがすべて。 もの作りとサービス業。業種こそ違え、相通じるものを感じ、劇場を後にしたのでした。