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ところで、今回訪ねました岡山県北部に位置する津山市。中央駅であるJR津山駅およびその沿線は、昔ながらの古い木造駅舎が点在したりと、昭和の鉄道ロマン漂うエリアなのですね。
なかでも注目は、津山駅に隣接してある昭和11年に建設された「扇形機関車庫」。マニアなら誰でも知っている有名ポイントです。隔週土日のペースで一般公開しており見学可(要予約)。2016年春には駅舎を含めて大幅に改装される予定ですので、今の風情を堪能したい方は是非急ぎましょう。
扇形機関車庫に鎮座する、往年・現役の機関車たち。見ていると懐かしく、心落ち着きます。なかには、ここでしか見られないという国内最大級エンジンの機関車もあり。あいにく当日は公開日ではなかったので、フェンス越しの見学となりました。
どの車両も力強く、かっこいい。今日の新幹線へと続く、日本の鉄道技術DNAがしっかりと息づいていることを確認したのでありました。今回の癒やし旅への暖機運転。いい具合に暖まって出発進行です。
津山市は古来から、出雲と都を結ぶ出雲街道の要所として栄えたところ。旧街道沿いの「城東地区」「城西地区」には当時の面影を残す街並みが現在も残っています。
「城東地区」の通りには見学自由の「むかし町家」があり、中へ。江戸時代から大正にかけて使われた豪商の町屋をそのまま保存してあり、建物の隅々に腕利き大工たちの確かな手仕事ぶりを感じることができます。心落ち着きますなあ、日本の伝統家屋。
立派な土蔵は美術館として使われており、中に入るといきなり、この地と縁のあった版画家・棟方志功の作品群と出会うことができました。おお、ラッキー。思ってもみなかった収穫に、心弾みます。
さらに通りを歩いていると、真新しい建物に新築移転した津山洋学資料館があります。ここでは、日本が近代化の道を歩む原動力となった蘭学・洋学の幕開けと、津山ゆかりの洋学者たちの足跡を展示。知は海より来たる・・・。貪欲に知識を吸収し、行動することで、近代化の歴史を切り開いた先駆者、立役者の存在を通して、公に尽くす武士道精神の神髄を感じたのでした。
日本人として、その精神を受け継いでいるはずの現代に生きる私たち。先人たちのあまりに志の高い生き様に、襟を正したくなる思いです。
街筋を歩いていると、2軒の鍛冶屋さんを発見。そのうちの一軒でご主人が作業をされている様子。なので、ここは同じ鉄を扱う者同士と、親近感を感じて作業場にお邪魔。お話を聞きますと、この辺には、かつて20軒を超える鍛冶屋があったそうですが、今は2軒のみ。貴重な存在です。
「鍛冶屋をやりたいと訪ねてくる若者もいましたが、いまさら鎌や鍬、包丁を作っても食べていけませんわなあ」とご主人。自分の仕事を必要とされる人がいる限り、続けていきますと話されておりました。
時代と共に、産業の栄枯盛衰はつきもの。とはいえ、いい手仕事でしか作れない、いい製品というものはあります。また、それを必要とする人は必ずいます。志ある若者に、今の時代にあった手仕事に昇華させて受け継いで欲しいものです。
津山駅方面に戻り、街道の「城西地区」には昔の銀行の建物を利用した作州民芸館がありました。
どうぞ二階へも上がってくださいと案内され、見学。この建物も、当時の最先端の建築技術が使われたことが随所に見てとれます。いい仕事してますなあ。
お礼を述べると、係の人に、斜め向かいの「作州絣工芸館」にも立ち寄ってはとすすめられ、そちらへ。
がらがらと開く木製の引き戸。中では、年配の女性たちが、美しい手仕事に取り組んでいました。昭和に、いったん伝統の途切れてしまった作州絣を女性の熱意で復活。突然の訪問にもかかわらず、ご丁寧に、綿繰り、糸紡ぎの工程から順に工程説明と実演を見せていただけました。感謝、感謝です。ここではものづくりのDNAが見事復活し、後継者も育っていることにうれしくなりました。
結果的に、なんだかほのぼのうれしい気分の、津山の癒やし歩き。ちょっとおなかがすいたので、石ちゃんも「まいうー」と言った津山名物B級グルメ「津山ホルモンうどん」をいただき、胃袋も癒やされながら帰路についたのでありました。